黒沢美香さんⅡ

引用・Mika Kurosawa HP
引用・Mika Kurosawa HP

美香さん自身で述べているように、両親ともに舞踊家。

黒沢輝夫氏は、モダンダンスの先駆者・舞踊家石井漠氏の弟子であった。

美香さんの名前も、石井漠氏が名付けたと聞いている。

わざわざ、舞踊家とそれ以外の時の名前とに分けて名付けたそうだ。

美香さんは、天才少女と呼ばれた通り、国内では賞を総なめだった。

しかしながら本人が、嬉しそうにしたのを私は見たことがない。

バランスが悪かった。舞台の関係で金髪で学校に通っていたしね。と。

 

 

 

そして、ダンスを辞めようなどと考えながら、国費で渡米。

NYでトリシャ・ブラウンを目撃してしまう。そのあたりは美香さんの文章が素敵。

 

そして、伝説をつくる。

 

※「lonely woman」 伝説のダンス・プロジェクト「偶然の果実」の中で生み出され、第1回バニョレ振付けコンクールにおいて、 日本国内最優秀賞を受賞、バニョレでのダンス・フェスティバルに日本代表として参加のため渡仏するも、 その即興性の強さのためにフェスティバルの主催者から上演を拒否されたという伝説を持つ演目。

過去18回の上演が行われ、その中でこの演目に参加したのはダンサーだけでなく、音楽家、美術家、詩人など多分野に及び、 ダンス経験のない人たちも、それぞれの方法でダンスをつくりあげました。

(AC×2 Vol.14 国際芸術センター青森 レポート2012)

 

補足すると、バニョレ振付けコンクールは、国際的振付家の登竜門である。

日本代表として渡仏する際、ダンサーを現地へ渡仏させる手配も大変だったという。

にも関わらず、主催者は振付のコンクールなのに振付無しの部分があるのは、駄目だと言ったらしい。その部分をカットもしくは、変更しろと。

美香さんは、そんなことしたら自分の作品ではなくなると言って、バニョレから引き揚げた。

(バニョレは、先見の明無しか?と当時話を聞いた時、私は思った。勿論今も思っている。)

 

そして時は流れ…その後、即興性の高い作品は、当たり前となる。

つまり美香さんに時代が追いついていなかったということか。

そして、現在バニョレは名前を変更しコンクール形式ではなくなる。

フランスでは、点数をつけられないものに、あえて順位をつけることは理不尽だと言う考え方が数年前から広まり、今ではコンクールはほとんどなくなってしまったらしい。

 

芸術家というのは、なかなかな職業だなと思う。

早過ぎても、難儀であり遅いと意味もない。

丁度いいというのも、何かがおかしいかもしれない。